CCS外伝逆襲の藤隆

浦添便り

 何時頃だったか、私が大学の一年生の時代の話である。
私が入部したサークルの新歡コンパのときだったかな?
 このときに、お酒の席だと思ってとんでもないことを口走った。
「四国なんて関西の衛星国ですよね。」
と、隣に座っていた先輩に口走ってしまった。
当然、その先輩は顔を曇らせ、無礼な後輩をどつこうとした。
「1年生、生意気すぎるぞ。」
と彼女は言った。その後、私に対して若いくせにという無言の威圧感を感じた。
私は無礼かなって感じた。そんな時に、
「四国出身の人間は此処にはおらんから無礼講だから許そうやないか。」
と、関西弁の京都出身の男性は彼女にビールを注いでいた。
彼のとりなしでざわめいていた席は納まっていった。
「おい。1年生、お前将来大物になるかも知れんな。俺にはようわかる。そういう自分から自己紹介や。」
と部長もいった。
「こいつが最初で良いだろ。」
北九州地方出身の部長も頷いた。
「私は、ええと・・・。相川美幸、秋田市出身です。好きな飲み物はワインと焼酎です。」
と自己紹介をした。
もっとあるだろと先輩連は私に紹介するように促した。
「好きな音楽は、ビートルズとストーンズです。」
ときっぱり背筋を正しながら声を出した。
「秋田かあ。秋田美人って感じジャンか。」
愛知だか三重の出身の先輩がお酒で真っ赤にした顔で
鼻の下を高くしていた。
美人か不美人で人間を比べるのはセクハラになる。といって
ビールに口をつけていた。
私の次にいろいろな新入生が自己紹介をしていく。
みなうれしそうな顔で拍手をしたりひゅーひゅーとはやし立てるのを尻目に
痩せ型の先輩がむっつりとして酒を飲んでいた。
それも、私を見ながらである。
Obの一人が、2次会に行くように部長などを促していた。此処の部活
文化系なのに、体育会系のノリがある不思議な部活である。
部長はそれに呼応して下級生どもを2次会に行くように促していた。
当然私のようなチンピラもついていく。
今しがた隅っこで酒を飲んでいた先輩も立ち上がった。
「相川とかいったな、2次会会場でお前と話したいことがある。」
と浅黒い肌の痩せ型で、茄子の蔕のような髪型の先輩は答えた。
2次会会場に移り、件のサークルの人間で埋め尽くされた。
「1年生、俺はお前の隣で良いか?」
といって下級生に遠慮はいらないと言った雰囲気で座った。
「お前、秋田市出身だとかいってたよな。」
と精悍な目で私をにらんだ。この人は南の島の漁師なのだろうかと思わせる感じである。
多分南九州か沖縄あたりの地方の出身かもしれない。と私は考えた。
グラスに注がれたビールを飲みながら、
「秋田市といえば、田んぼの真ん中に家でもあるのか。」
と私に質問した。無礼な質問だ。しかし、逆らったらしごかれていじめられるのは目に見えている。
「ええと。私は秋田市の街中の出身で田畑に触らずに育ちました。路地裏が私の原風景です。」
と質問に答えた。
「秋田もいろいろあるからな。」
と彼は秋田の日本酒を飲んだ。
そしていったん考えて、笑いながら口を開いた。
「俺は紹介が遅れたが、名前は与那原空汰、沖縄の浦添市の出身だ。」
私は浦添と言っても皆目見当が付かないので、沖縄の泡盛の烏龍茶割りを飲みながら、
「大方、あなたの家の近所って米軍のトラックか畜産農家のトラックが我が物顔で通り過ぎていくんですよね。」
と言った。
「其処までは酷くは無い。偏見のレベルは俺もお前も同様だ。」
とお酒の入ったグラスの隣にあった氷水を飲みながら、口を開き始めた。
「少し長くなるが俺の話を聞いてくれ。後輩。」
私は席を立つ部長やobをみて、
「2次会も終わりですし、あなたの家まで足を運びましょう。」
と、空汰先輩を見た。
「そうかっ。」
と彼はいきなりうれしそうな顔をして私の手を引っ張った。
「部長、俺はこいつを自分の部屋まで連れて行くから。」
といって、そそくさと店を出て行った。
「ったく、変なことをするんじゃないだろうな。今學生のコンパ風当たりが強いんだからな。」
と部長は剣呑な顔をした。
空汰先輩は強引だったが、彼の目の強さは引き付けられる物があった。
あの漁師みたいな表情の彼の。
私は少々酔っていたが、なんだか頭には正常なものがあった。
「珈琲で良いよなあ。」
そういって彼は、mjbの缶を開けてパーコレーターの火を入れた。
出来上がった珈琲を入れながら彼は昔を回想していた・・・。
俺が上京してくるまでの話をしよう。
自分の実家は、浦添の市役所の真向かいに家が今もあるんだ。
沖縄では当たり前のコンクリートの白い家だ。
当時那覇の予備校に通っていた俺は、私立の関東の名門校を狙っていた。
当時の学力では其処は押しなべてだめだった。
進路指導の先生は、
「其処までして関東に行きたいのか?」
と不思議な顔をした。
「地元でも良いんじゃないのか?」
と念を押される始末である。
俺はそのまま家の近くまで行くバスが出るターミナルに意気消沈しながらバスを待っていた。
バスに乗り込み数十分後、最寄のバス停で降りる。バスの運転手は
「あんた疲れているねー。」
と皮肉を言った。
俺が何故関東を見たかったのか。理由としては俺の高校の担任が大学は関東の八王子の学校に通っていて、彼が楽しそうに関東の学園生活をとくものだから、俺 もそれに感化されてしまったのだろう。
しかし、当時から関東の地位は低下し、沖縄でもなんとか安定した暮らしができるようになり始めた時代であった。そして、文化の中心も北陸や北九州に移り始 めた時代であった。
それでも、俺は100年余り日本列島の中心だった関東をこの目で見たかった。
夕食時のカレーも手をつけずに学力が上がるかどうかを考えていた。
そんな俺に母も心配そうな顔をしていた。
親父のつけているテレビは、東北連邦の大統領選のニュースをやっていた。
長州への侵攻を掲げる保守派とそれに反対する革新勢力が争っていて、革新が勝利したという話題であった。
母は俺を覗き込み、
「空汰、関東に出るんだったら親戚が部屋とか世話してくれるかもしれないよ。」
と言った。
「多分、お前は関東の学校は無理だろうな。」
と、すでに夕食を食べ終えていた父が言った。
どこでその学力の話を聞いたんだよ。
そして、駄目押しで
「馬鹿なことを考えないで地元の学校に言って地元で就職しろ。」
と言った。
母がテレビをいじったのか、父が見ていた国営tvのニュースが民放に代わり、其処に1つのcmが流れていた。関東の官立学校の募集の宣伝らしい。
受験シーズンには早いのだが、近々那覇で、テストを行うらしい。
テレビのモニターを目を皿にして覗き込んでいた俺は、受験してみよう
と思った。この学校は◎◎県友枝町にある◎◎県立大学というらしい。
宣伝によると受験の日は近かった。
俺は、それを見て猛勉強をしていて、気が付けば那覇の会場でテストを行っていた。俺以外の県内の高校生が来ている。みな関東に出たいのだろう。
もてるだけの力を込めマークシートに記入する。
試験終了の時間が来た。結果は1週間後らしい。
家族のみんなも受からないだろうと言う表情だった。
俺の弟も妹もにぃにぃ受からないだろうなという感じで玄関で俺を出迎えた。
さて、運命のときが来た。
俺の元に送られてきた封筒には合格という赤い朱印が押された分厚い封筒だった。
今日の日付はいつかと見たら12月x日である。
大方キジムナーあたりにつままれていると思っていたが、コレは現実である。
そして、合格の後は思いっきり遊び、お正月、卒業式を迎えた。
那覇空港で俺を見送った家族も今ひとつ俺が合格したとは思えない表情をしていた。そして俺は羽田行きの機上の人になっていた・・・・。
「面白いお話ありがとうございました。」
といって、私は彼の部屋の側面を見回した。
壁には彼の好きなラッパーのポスターが張ってある、私は記憶を頼りにして、確か西海岸の人だっけな。と推測した。Hip pop というところが実に沖縄的に移る。彼の部屋にある調味料といい、スナック菓子といい、存在するのは沖縄では人気のありそうな北米のブランドである。
「実に沖縄的なインテリアですね。沖縄出身の芸能人がHip pop好きな人が多いと聞きましたし、私の実家のほうではあまりお目にかからない調味料が多いですし。」
といって、ちゃぶ台の上のステーキソースを見て苦笑した。
それに対して空汰先輩は、
「小学生の時、米兵のお兄さんに那覇で勧められて、Hip popが好きになった。最近の沖縄の若いやつは、島唄をあまり聞かないし歌わないのが多いぞ。」
と言った。
「私だって、他の地方の人に秋田=演歌って思われたくないですよ。実家にいるときは佐野元春とか聞いていましたしね。」
と答えた。
「ビートルズやストーンズもだろ。お前は今の大学実家の近くで受験したのか?」
と、空汰先輩は私に尋ねた。
「関東に来て受験しました。で、話は変わりますが、そろそろ日が昇ってきますね。」
と窓の外を見た。
「実にうちの学校は変な学校だ。今度のサークルの新入生に南関東出身者が一人もいなかったし。何かあるのだろうか?」
空汰先輩はこの学校の不思議さに首をかしげていた。
「私が秋田出身、あいつが鳥取出身、あいつが播磨出身、あいつが三河だっけな?」
指を折りながら、他のやつの事を考えていた。
「もっと南関東の人間が入っても良いのにな。」
苦笑する空汰先輩。
私はそんな彼に、
「先輩、今年で卒業じゃないですか?」
と質問した。4年と言えば就職活動だもん。
「俺は、横浜南部から横須賀にかけての神奈川県の特定のテリトリーの
セールスを中心とした自動車会社だ。」と珈琲を飲みながら答えた。
「横浜ですか、そりゃいいですね。」
私はうれしくなった。私の憧れの土地だったからである。私も朝になって眠くなった。
「空汰先輩の家から下宿まですぐなので帰ります。帰ったらいぶりがっこ入りのお茶漬けでも食べようかなって思っています。」
と思いっきり体を伸ばした。
「俺もゴーヤー入りのオムレツでも作ろうかな。」
そういって、ガスレンジの窓から見える景色を見た。
此処で私の大学1年のお話は終わる。当時の私は南関東出身のとーやがわれわれのサークルに入ってくるのを知らなかった。
(the end)

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